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福島原発事故 不起訴へ! その理由は!? [やっぱり原発は恐い]

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福島第一原発の事故について検察当局の出す結論は不起訴ということになるらしい。

その理由はやはり想定外という大好きな言葉だった。

3・11のあの津波は巨大すぎて東電も政府も想定することは困難だったということらしいのだ。

震災当時、福島第一原発を襲った津波の高さは、最大で15.5メートルに達したと言われている。

しかし福島第一原発の建屋は10メートルの高さにあるために、津波に飲み込まれてしまった。

三陸では30メートルに達したところもあるということで、15.5メートルの津波はそんなに巨大なものかと思ってしまう。

素人ながら私なら国内で過去に30メートルの津波が来たとわかっているなら、どの場所であろうと最低でも30メートルを基準にして考えるだろう。


本来、原発とはそれくらい考えてやらなければならないものなのだ。

原発の危険性とは核の放射能の危険性のこと。

万が一でも漏れ出してしまったら、大変な被害を何百万年もの間出し続けてしまうものなのだ。

一歩間違えると、人類滅亡へと導くものだ。

そんなことは無いという人もいるだろう。

しかし、核兵器はどうして恐れられているのか。


核兵器の恐ろしさは、爆発したときの高熱と爆風で大勢の人が亡くなってしまうことがメインとして考えられていると思う。

でも、本当の恐さは放射能なのだ。


あってはいけないことだが、たとえ爆発のために人類のほとんどが亡くなったとしても、わずかにでも生き残ってくれれば、人類は存続可能だ。


しかし、核の場合はその後の放射能汚染で人類は隠者の形で生き残ることは出来ない。


すべての生態系は壊れ地球自体が滅んでしまうという負の可能性を秘めているものなのだ。


広島、長崎に落とされた原爆で今もなお何十万人もの人が苦しみ続けている。

わずか2発の原爆でもそれだけ恐ろしいものなのだ。


ましてや、今回の福島原発の爆発で飛び散った放射性物質はセシウムだけでも広島に落とされた原爆の160発分の量が拡散したのではないかといわれている。


あまりにも恐ろしすぎる現実なのだ。


そのため、個人的には原発を持つということは原爆を持つことと等しいと思っている。

子供のころに習った日本の非核3原則は核兵器だけのことじゃないと思っていた。

世界で唯一、核爆弾を落とされて苦しみぬいて核の放射能の恐ろしさをい嫌というほど知った日本人だからこそこの宣言だと思っていた。


しかし、いつの間にか原子爆弾は危険だが、原子力発電は平和利用だから安全だということになってしまった。

核兵器への応用が利いてしまう原発は、核兵器と同じ危険性を持っているという認識を持たなければならないのだ。


だから非核3原則を言うのであれば原発も持たず、作らず、持ち込ませずにしなければ意味が無いということなのだ。


どうしてもやりたかったら、非核3原則は破棄してからやってほしいと個人的には思っている。


福島原発事故の責任を考えたとき、私を含めすべての国民にその責任はあると思っている。


全世界を滅ぼしかねねい放射能を撒き散らす原発を作った責任とそれを止められなかった責任は計り知れないものなのだ。


ここまで来たらもう人類滅亡は止められないかもしれない。

希望はハリの穴に像を通せるくらいしかないだろうぐらいの奇跡なのだ。


後は人類の本当の目覚めのときを待つしかないようだ。




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