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低濃度汚染水は海に放出してもいい!? 原子力規制委員会委員長の見解? [気になる原発のこと]

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ここに来て本音が出たのか、原子力規制委員会の委員長が汚染の濃度の少ないものは海に捨てるようにしないといけないのではないかというような個人的な見解を発表した。

汚染の濃度の少ないものとは国の基準以下のものということのようです。

国の基準とは安全基準のことだと思います。

水に含まれるの放射能の国の安全基準があったのかどうか分からなかったので調べてみました。

いろいろ検索してみたものの国の水質基準はよくわかりませんでした。

食品の暫定基準は100ベクレル/1kgのようですが、これには山本太郎氏は警鐘を鳴らしています。

飲料水だと200ベクレルなんていう暫定基準もあったようです。

はたしてこの国の基準値で本当に安全なのでしょうか。


原子力を研究している人たちの中では基準値に意味は無いと言う人もいたりします。

放射能は本来の安全面から言えばあってはいけないものという考え方もあります。


私はこの考え方に賛同します。

元々人類は宇宙からの放射線の驚異にされされて来たにもかかわらず、さらに核の放射能の驚異にまでさらされています。

宇宙からの放射線の何倍もの放射線を浴び続けて、まともに生きられるはずが無いことは、少し考えれば誰にでもわかることではないでしょうか。


原発では元々地球上に存在しないものが生まれてきているわけで、その放射能も本来の安全基準から言えばゼロでなければならないはずです。


外部被ばくと内部被ばくという言葉を最近良く聞くようになりました。


外部被ばくは放射性物質を遠ざければ、少しは安全を守ることが出来るようです。


しかし内部被曝は体内に放射性物質を取り込んでしまったもので、放射性物質が体外に排出されない限り、直捨つ放射線が細胞を破壊してゆくものです。


外の除染はできたとしても、体内の除染はどうしたらいいのでしょうか。

普通、身体は食べ物を体内に取り入れて、異化と同化という作用で、必要なものは肉体に取り込まれ、不必要なものは排泄されるという仕組みになっています。


本来は放射性物質も異物になるはずですので、ほとんどは排泄されるはずです。

しかし、ヨウ素やセシウム、ストロンチウムなどは、身体が必要な物質と似ているために間違って取り込まれてしまうのだそうです。

そうなると24時間内部から放射線を浴び続けてしまうことになります。


人間の身体には自然治癒力があって、少しくらいなら壊れても修復してくれます。

しかし、それには限界があります。

限界を越えれば壊れてゆくことでしょう。


もし基準を設けるとしたらその限界を越えるものであってはいけません。


しかし、ここに問題があります。

人間の自然治癒力にも一人ひとり個人差があります。


なので基準値を決めるとしても一人ひとりにあったものでなければなりません。

ここで放射能に強い人、弱い人が出てくるのですね。


これらのことから子どもやお年寄り、病人などは放射能には弱いということは想像がつくのではないでしょうか。


山本太郎氏が子供を本気で守りたいと考えて当たり前だと思います。

内部被曝は時間が経てば立つほど危機的状況になります。

現在の食品や飲料水の放射能基準を信じて身体に取り込み続けるとどうなるか想像してみてください。


身体に蓄積されてゆく放射性物質はより強力なものとなってゆくのです。

肉体がどこまで耐えられるのか。

私たちは人体実験の的ではないのです。


身体に何か現れてからでは遅いのです。


原発が爆発して放射能がばらまかれてから2年半が経とうとしています。

原発が爆発して放射能がばら撒かれて終わりではなく、アレからも放射能は大気にも海にも放出され続けている現実があります。


ここで目覚めて立ち上がらないと明るい未来は二度とやってこないでしょう。

そのことに気がついた人が今増え始めているのだと思っています。

山本太郎氏が今回の参議院選挙で当選したことがその証明だと思っています。


皆が気がついて声を上げれば世界は変わります。


これまでの生き方を反省して生き直すことが出来れば明るい未来がやってくことでしょう。


私達がやるべきことは戦うことではなく生き方を変えてゆくことです。

インドが独立した時、塩を求めて民が行進した時のことを思い出して欲しいと思います。



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彼らは叩かれても倒れても無言で進み続けました。

非暴力無抵抗とも言われ、無謀だとも思われていますが、それは真摯に生き抜く姿勢だったのではないでしょうか。


私達も真実に目覚め、綺麗な空気、綺麗な水、綺麗な海、綺麗な大地を求めてみんなで無言の行進をしてゆきましょう。

私達が生きるということは命を削っているということなのです。生きるということは命がけなのです。


自らが求め、得ること。

一人ひとりが目覚め生き直せばそのうねりは、インド独立のような奇跡を起こします。

立ち上がれ日本人。


植民地支配から自由を勝ち取ろう。


ガンジーの目覚めは、今、日本人一人一人に必要な目覚めだと思います。

裕福に育ち差別を知らなかったガンジーは、汽車の中で差別されてインドが植民地だったことに気がついたといいます。

私達にもそれは当てはまります。

日本は植民地だったということに気がつくことはとても重要なことです。

それに気がつけば今の日本が抱えている矛盾の理由がわかるはずです。


手遅れになる前に。






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