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フランチェスコ1世 新ローマ法王 聖フランチェスコ [日々の日記]

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コンクラーベで新ローマ法王「フランチェスコ1世」が誕生しました。

フランチェスコと言えばやっぱり聖フランチェスコを思い出します。

フランチェスコの平和の祈りを久しぶりに読んでみました。


~~~~~~

平和を求める祈り

わたくしをあなたの平和の道具として
お使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を
悲しみのあるところに
喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、
わたくしが求めますように。

わたくしたちは与えるから受け、
ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて、
永遠の命をいただくのですから。

~~~~~


訳によって多少の違いはあるかもしれませんが
読んでいるだけで心が落ち着いてくる祈りです。


このフランチェスコの平和を求める祈りは
個人的にですが宮沢賢治の「雨にも負けず」と
重なってしまいます。


フランチェスコと宮沢賢治にはある共通点が
あるような感じがします。

人間である私たちがどこを目指していきてゆくのかを
指し示してくれているような詩であり祈りだと感じます。

誰もが心の奥深くに抱いている確かな願いに
触れることが出来るようなもの。

宮沢賢治が「そういうものにわたしはなりたい」と
最後に綴っていますが、できれば私もそういうものに
なれたら幸せだと思います。

聖フランチェスコの平和を求める祈りのように生きれたら
戦争も環境破壊も無くなり、人類は生まれ変わった生き方を
出来るような気がします。


現代社会はどうにもならない大きな問題が山積みになっていて
解決は不可能にも思えてくることばかりです。

全て良かれと思って私たちが生きてきたことの集大成の今です。


今回、新ローマ法王「フランチェスコ1世」が誕生したことは
何かしら新しい時代の幕開けではないかと感じてしまいます。

フランチェスコの平和を求める祈りの中には、今の文明の
解決不可能とも思える問題を解決するための方法が
書いてあるのではないでしょうか。

世界で起きている問題を私一人で解決するのは無理だと
思っていましたが、それは間違っているのかもしれません。

世界で起きている問題と私の身近な問題は同じ原因から
起きているものと捉えるとどうなるでしょう。

フランチェスコの平和を求める祈りには、私たちの身近な問題の
原因が浮き彫りにされていて、さらにそれを解決するための
方法が書かれています。

フランチェスコのこの祈りのように、ほんの少しでも生きれたら
世界は変わってゆくのではないでしょうか。

そのために必要な心構えの一つは自らの愚かさを知ると
いうことなのだと思います。

今世界を牽引しているのはキリスト教国だと思います。

イエス様が解かれたことも同じだと思います。

今こそ本当の愛を生きる時なのではないでしょうか。





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